占い、特に卜占のこと

占いには「命、卜、相」の3種類あると言われています。「命」は占星術みたいに出生時など特定のタイミングの星の動きや暦の組み合わせで占うもの、卜はカード占いや易のように偶然に引き当てたシンボルによって占うもの、相は手相や人相あるいは家相のように形によって占うものです。

で、易というか卜占は、その中でもっとも根拠がないように思われがちですが、そもそもどうして占いというツールを使うのか、というところに立ち返ると、実際、未来を見通せたからといって、賢い選択ができるわけではなく、さらに先を知っていたからと言ってコントロールできるわけではないというのが人生でもあるので、たぶん、占いによってもう一つの視点が持てるというのが大きいと思っています。

日々、ものごとを決める時、普通は因果を頭で考えて決めます。何が得で何が損か、何が効率が良いか。でも、自分の感情の奥深い部分はそれでは満足いかなかったりします。最終的に自分は何を求めていて、どこにたどり着きたいのか。それは、頭で考えることによって覆い隠されて見えなくなってることもしばしばです。

そういうときに、偶然性によって引き当てたシンボルが、自分の心理のどこかにある答えを引きずり出してくる、そういうことはままあります。そのシンボルの意味が明確であり、自然の摂理に適っていればいるほど、また自分の心理になじんでいればいるほど、直感的な気づきにつながりやすいものだと思います。

易占いは、そのような性質の占いなので、あくまで「自分にとってどうか」という主観を占うのがもっともよい結果につながります。たとえば恋愛の場合「相手の気持ち」ではなく「この恋愛において自分はどうふるまうべきか」を占うべきツールとして使う時に、もっともいい持ち味が出るのではないでしょうか。

さらに、シンボルを使うことによってそれに馴染みが出ればでるほど、この状況でこのシンボルが出るのはこういう意味だろう、という解釈に対して広がりが出てきます。おみくじ的に親切に書いてあるのではなく、解釈の余地があるほど、多様な状況に対応できるので、それゆえにシンボライズの質が良ければよいほど、使いやすい占術ということになります。

易の優れている点は、その歴史の古さ、そして、陰と陽の組み合わせであるという単純性、また比較的精神風土が近い東洋に起源があり、日本人にとってはなじみやすいというところではないでしょうか。